所感・解説 [メモ部分は緑字表記。画像は最下]
タイトルは引分けですが、早気の話です。
前に書いた通り、私は高校で弓を始めてほどなく早気となり、反射早気にまで重篤化したものの、大学でただの早気に戻り、社会人になってからは会らしきものはあるくらいの状況になって今に至っています(この経緯はこちらで)。
しかし会でのそわそわ感は相変わらずで、それとの闘いを最優先にせざるを得ないことがよくあります(そのときどきの状態にもよりますが)。
メモ冒頭の『離れそうになったら、引分け引分け引分け』や『会は他の理屈抜きで「引分ける」をやる』は、その状態を典型的に示してくれています。これらは早気の人に対する指導としてよくも言われることだと思いますが、動きを止めて保とうとさせるのではないので、いいと思います。もちろん、引分けと思って伸びたらそのまま離れるというのが早気でもあるので、特効薬的な効能はないですが、根治には近道かもしれません。
動きを止めて時間を稼ぐ方法だと、見た目の会は作りやすいかもしれませんが、離れへの力の流れは断絶してしまい、そこから流れを作ろうにもそもそもが早気なので、できる前に離れ、という状況に陥りかねません。そうなると早気治療に着手する前より矢所は確実に乱れ、びくが出るようになるかもしれません。そのままでは弓を引く意味を感じられなくなり、廃弓を選んでしまうかもしれない。
動きを止める方法は、反射やそれに近い流れを断つことができるかもしれないので、私はこれもありだと思っています。ただ、この方法は、上記のごとく、会らしきものができたところからが本当の勝負です。射手はもとより指導者も、ここで満足して離れてしまわないことが肝要です(決まった…)。
さて、メモ中盤に『会で離れを導くテンポ・時間が短すぎ。ここに手を入れないと、会のばそうとしても死に会が延びるだけ。うろりとかやろうとするとか』とあります。これは、会において「離れに到達する(した)」と心身が判断するタイミングが間違っているので、変えないといけないということを言っています。ここが変わらないと、見た目の時間が変わっても本質は変わっていない(=早気)ということになる。「うろり(雨露離)」は、教本第一巻の離れの項にある『葉末にたまった雨露が自然に地に落ちるーすなわち、機が熟して自然に離れるものでなければならない』を表した用語です。『うろりとかやろうとするとか』は、一度初心に帰って離れを待ってみたら何か見えてくるかも、というような心持ちでしょう。
今回も色々書きましたが、とにかく早気は一筋縄ではいかないやつです。とても身近にありながら、時として廃弓に引きずり込むほどの魔力も持つ。しかし、こいつにいいようにやられるのもまた癪。執念をもって封じ込めたい。
早気カテゴリーにはこの手の話がいくつかありますので、よろしければご覧ください。
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この日の弓道練習メモ [メモの活字化 (画像は最下)]
160720(左ページ)
離れそうになったら、引分け引分け引分け
弓手肩
引分け・円相を強めていく意識
会は他の理屈抜きで「引分ける」をやる。でないと全部中途半端になる。
会で離れを導くテンポ・時間が短すぎ。ここに手を入れないと、会のばそうとしても死に会が延びるだけ。うろりとかやろうとするとか。
会で頑張っているときは、頭を動かさない(あごを浮かさない)。動くと矢所と射の関連がわけわからんくなる。