所感・解説 [メモ部分は緑字表記。画像は最下]
これまで何度か触れていますが、私は会で弓手の手首を右下(時計回り)にひねるような力をかけていました。
この力により、離れの際に末弭が大きく前に突っ込んで、残心の弓は斜めに寝た形になります(末弭関連記事参照)。
かっこ悪いのはもちろんのこと、発射時に動力源の軸が動いてしまうのだから、矢所が安定するわけがない。
しかし、それを分かっていながら、今までろくに手をつけて来ませんでした。
その一番の理由は、弦で体を払うようになるのを避けたかったということです。払った経験のある人ならお分かりいただけると思いますが、あれは最悪です。学生時代にも払いスパイラル(過去記事参照)に陥った人を何人か見てきましたが、その人たちで弓道を続けている人はいません。痛いわ中らんわでは、もう続ける意味ないですよね。給料もらえるわけでもないし。
と少し感情が先行しましたが、払いに対する恐怖と警戒心はそのくらい強いのです。
とはいえ…
ここ最近は、「右回転手の内」の弊害が各所にでているのが分かってきて、もはや上達の障壁と言えるレベルであるのをひしひしと感じ始めていました。そんな折にコロナ禍による試合や審査の中止。
もう、やるなら今しかないだろう、という。
しかし今まで避けまくってきたので、とにかく知見がない。
右回転が常態化しているんだから、治すには左回転(起こす方向)のイメージにすれば良いのだろうが、そうすると弓の抑え所、応え所がわからず、うまく力が伝わらない。そして弦が近くを通るようになって…(同じ話過去にもしてますね)
このまま進めば色んな意味で大ダメージを負いかねない。残念だがここは一旦退くか?
(やはりこの壁は越えられないのか…?)
ところが、今回は幸いにも、というか狙いすましたかのようなタイミングで手の内に関する指導を受ける機会がありました。最近私が根城にしている道場にたまたま来ていた知り合いの先生とか、別の日に来ていた知り合いの知り合いの別の先生とかが頼んでないのに教えてくれました。(要は見るに見かねるほどの手の内だったってことでしょうが)
そしてそれらをヒントにしてあれこれ試してみるうちに、何となく光が見えるようになりました。自分で気づくにはどれだけ時間がかかったかわかりません。常識化してしまっているものを壊すのは自力だけでは難しいということか。
ただし、教えてもらってもすぐにはできないことがほとんどなので、どのみち後で自分で考えて試行錯誤することになります。ここからの主役は自分です。外来の知識と自分の常識との議論が未来志向の下で進むように導かなければなりません。昔は自分の常識が勝ってしまうことが多かったが、最近はいいバランスで議論できている気がする。それを結果で証明したいところ。
さて、今回の記事には手の内の具体的な取り組み内容も書くつもりだったのですが、長くなりましたので、またの機会にします。
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この日の弓道練習メモ [メモの活字化 (画像は最下)]
160825(右ページ)
◎点で狙うためには、手の内は避けて通れない
◎大三はコンパクトに。右肘張って。肩は底辺に
◎(会で)一定方向の力をかける際、アゴ浮きバランスになりがち
◎点で狙うと言っても、突っ込んではいけない。体の中心の意識を忘れないように