所感・解説 [メモの引用は緑字表記]
前回メモは最近の取り組みをチェックリストみたくまとめたもので、今回メモの前半には執弓とか着物とかの単語が並び… とくれば、審査です。
直前になっての体配確認なんて後手に回っていることの証明みたいなものですが、最近はずっとこんな感じ。いや、昔からずっとこんな感じか。
そんなんではもう通用しない段階だということなのかもしれませんが、束らんという事実が勝ってしまい、体配は後回しになりがちです。じゃあしょうがないという話でもないですが。
束らないということで言えば、着物のくだりは的中にも影響の出かねない話です。
『着物の分、弓が体から遠く感じるがそれは錯覚』と書いている時点で、普段(道着)と同じ感覚で引けていないということです。確かに着物も肌着?も襟のところがちょっと厚めなので、気になることはあるかもしれません。となれば、「普段を着物に寄せる(厚めにする工夫を何かする)」か、「着物を普段に寄せる(薄いのを探すとか?)」か、「着物の感覚を普段にする=慣れる」ですが、普通に考えれば、慣れろよ でしょう。
そもそも審査だろうがなんだろうが、練習と本番の感覚が違うというのはよろしくなく、できればある程度の期間の慣らしをすべきだし、可能なら日常から定期的に着物で練習ようにするのが望ましい。
それを直前の一回だけ、というのだからつける薬はない。一方でぶっつけとまではいかない(いけない)のも、らしいと言えばらしい。
そんなこんなで突入した審査は『〇×でだめ』。
この審査は5年以上前の割には記憶が鮮明に残っている部分があって、道場の雰囲気とか、矢の飛んでいった軌跡とか思い出せます。おそらく、甲矢が中って「何としても次中てなくては」となって一気に意識が研ぎ澄まされたので、脳裏に強く残ったのでしょう。
その「何としても中てなくてはならなかった二本目」は中らなかったのですが、そういえば、二本目が飛んでいった先を審査員の先生の一人が顔をのぞき込んで見ていた姿が、残心の視界の隅に映ったのを覚えています(大前だったのか?)。
矢所を見に行ったということは、中れば通っていたのでは? → やっぱり何としてでも中てないかんかった… → がっかりして帰路(でも楽しい)
矢の軌跡などの記憶が残ったのはそれがあったからでしょう。
矢を追いかけた先生は私の所属する市(弓道会)の隣の市の人で、高段かつ当たりも強く、全国的にも名の通った人だったのですが、少し前に急に亡くなられてしまいました。
地元でも見たことあるくらいで直接指導を受けたことはなく、後にも先にもその審査が一番近いくらいの縁だったので、訃報を聞いたときは悲しいという感情ではなかったのですが、鮮明な記憶の中の人がいなくなってしまっているというのは、残念というか儚いというか、不思議な感覚です。
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この日のメモ [メモの活字版 (画像は最下)]
180902,04(左ページ)
・とりゆみ 矢先高い
・引分け 体が入らなくなりやすい。8/12の両肩MAXひらく
左右どっちかを意識すると、どっちかに偏る。強力に左右均等
・それでも着物の分、弓が体から遠く感じるがそれは錯覚
180908(右ページ)
両肩均等にMAXひらいて寄せるは成功。
しかしやろうとするあまり、馬手の、脇から下筋へかける力(つり上げる力)を消しながら引いてしまうとNG(⇒引きすぎ)
⇒これらは大正解。しかし慣れていないことに加え、体力が追い付いていないことが問題
〇×でだめ