サンカクユミ;三角弓(弓道練習メモ集)

上達めざして練習の際に書いている備忘メモの自己評論弓道ブログです

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『夏山葵鰻蓴菜鱧』'17/01/21弓道練習メモ

所感・解説 [メモ部分は緑字表記。画像は最下]

肩線が上がってしまうのには本当に苦労しています。

上がらない人にはどんな感じかすらわからないかもしれませんが、状態としては、「もうお手上げです」とか「さっぱりわかりません」みたいなときに両肩を上げたときのような位置で行射をする感じです。行射中は当然自覚はなく、残心の後、肩を降ろそうとすると下がるので、ここでやっと「そうだったのか」となります。

もちろん最初から上がっているわけではなく、打起しや引分けの際に上がってしまうのです。

これをどのように上がらないようにするか。過去記事でも何度か取り上げており、最近ではこちらで「打起し時」の工夫について言及しています(肩が詰まるカテゴリにも多数あり)。

そして今回のメモには、「引分け時」に上がってこないようにするための意識についての言及があります。

 

富士裾野射法で肩線を作るが、その位置は最底辺になるように。意識としては腹に載せるようなイメージ

肩を沈めるように引分けるのは当然であるが、肩線の位置の感覚が狂っているので、沈め切ったつもりでも結局高いところに収まってしまう。ならばまずはその感覚を破壊する必要がある。肩よりももっと低い位置にある腹くらいまで肩線の位置を沈める意識で引分けていく。

要は、わりと最近出てきたろくろ首射法という理解でいいと思います。肩線を沈め、重心を下げるための手法です。ろくろ首射法の記事には、このブログに頻出する「富士裾野」についても説明があります。組み合わせて使うと効果大。

 

 

そのほか、今回のメモには会の持ち方についてのコメントもあります。早気に関するものというより、「どう離れに至るか」というような話です。

もう少し具体的に言うと、このところ試合において、大事に行き過ぎるためか会でどのタイミングで離れればいいのかわからなくなり、そうこうしているうちに会に震えが始まり、その震えが焦りを呼んで全然タイミングじゃないところで離してしまう、という現象が起きており、それをどう解決しに行くかという話です。

とりあえず採用されたのは、『練習では会はふるえがくるまで』。

まだメカニズムとかよくわかっていない状況の中で、離れの導き方を模索すると間違った方向に進みかねないので、まずは練習で試合の再現をするところから始めましょうということかなと思います。

さらには『カタカタくらいでは試合のふるえの練習にはならない。わんなわんなまでこないと意味なし

これは、我が心の師である天ぷら職人 早乙女哲哉氏の言葉からのインスパイア(いやパクり)です。詳細は『プロフェッショナル 仕事の流儀 天ぷら職人 早乙女哲哉の仕事』ご参照…(今はオンデマンドサービスでは見れない?DVDならば見れる)

ともあれ言いたいのは、少々の震えでは練習だと挽回できてしまうので、再現にならないということです。

続く『また、それを人にも見せる。人の視線が気になっているようでは試合につながらない』ですが、私は心の師のところに連れていかれてもおそらくいい勝負ができるほどの気の小ささの持ち主なので、行射中も周囲に意識が行ってしまうことがよくあります。ミスってるところを見られたくないという意識もあるのでしょう。それらを払拭できるのが一番いいですが、そう簡単にはいかない。ならば、ミスってる(震えている)ところを見られるのに慣れてしまいましょうということです。

最後は、『そしてわんなわんなとなっても、力を集約させて中てきらなければ意味がない

これを目指さなければ何の練習にもなりません。

 

正攻法ではない感満載ですが、離れの出し方を知らない初心者みたくゼロスタートというのもいいでしょう。実際にはそれとて容易なことではありませんが、やろうとしてみる先に変わるきっかけが必ずある。それは最近強く思います。体は変えられるし、脳も変えられる。

 

 

さて、明日は特に用事もないので朝から練習、昼は大谷翔平にインスパイアされてバッティングセンター、帰ってきたら昼酒の予定。天ぷらの話が出たので、夏野菜でも揚げてみますか。

 

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この日の弓道練習メモ  [メモの活字化 (画像は最下)]

170121(左ページ)

腹裾野

 富士裾野射法で肩線を作るが、その位置は最底辺になるように。
 意識としては腹に載せるようなイメージ

 

練習では会はふるえがくるまで

 カタカタくらいでは試合のふるえの練習にはならない。
 わんなわんなまでこないと意味なし。また、それを人にも見せる。
 人の視線が気になっているようでは試合につながらない。

そしてわんなわんなとなっても、力を集約させて中てきらなければ意味がない。

 

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