所感・解説 [メモ引用は緑字表記。画像は最下]
『会で集中しすぎない、というか 広い視野をもつ』の目的は、早気の発動を少しでも遅らせるために的への意識を弱めること。『はじめから的オンリーだと長くもたない』のは、もはや言うまでもなく、会の長さのこと。
『16.10.8の相対性視論みたいな感じ』の相対性視論は、「対象(的)に対する自分自身を常に意識の中に置く(対象だけに集中するのではないということ)」という意味としています。的だけに心を持っていかれるのではなく、自分自身の存在を第三者的に意識できるようにすることで、緊張を和らげられないか、という発想でした。
今回は早気抑制のくだりで引用されていますが、どちらにしても即効性のあるものではないので、克服に向けた取り組みの一つ、といったところです。
話は少し逸れますが、会での視界ということでいうと、2023年現在というか今日の練習においても、まだあご浮きと戦っています。
引き納めまでは割りといい感じで来るのですが、会で頑張っているうちに徐々にあごが浮いてきて、そうすると視界の上では狙いが下がっていくように見えるので、弓手を上げて元の視界の状態に戻して離すと、上に飛ぶ という状況に陥っています。
引き納めまでは、いろいろ意識して気を付けながら、何とか正しい形(あごの位置)で引いてこれるが、会ではやはり意識の余裕が少なくなるため、20年にわたって染みついた視界の水平感覚が台頭してくるのを抑えきれず、元の形に戻っていってしまうのです。
これを克服するには視界の水平感覚を塗り替えるしかないのですが、「浮かないように」とか「水平に」くらいでは、過去からの感覚には勝ちきれません(初めの何回かはできるかもしれないが、そのうち別の修正箇所にも意識が遷ろっていく中で、やっているつもりなのにいつの間にかできなくなっている)。
そもそも、現在の感覚の「水平」は実際には水平ではないので、まずその感覚の矯正が必須です。
的場の方に面を向ければ、水平な地面の先に的が見えます。
でも、あごは浮いて、目線はやや上から下になった状態での話です。
ここからあごを締めていくと、視界は足元の地面に近づき、逆に的は月のごとく上に昇ったような見え方になって、そのあいだにある矢道はまるで上り坂みたいに感じられます。
でも、実際はこれが水平ですから、脳の感覚が狂ってしまっているのです。
よって、この「坂の上にある的に向かって伸びて矢を飛ばす感覚」に違和感がなくなる=水平感覚の仕切り直し まで脳を矯正する必要があります。
相当大変と思われますが、最近この過程が楽しく感じられるようにもなってきています。
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この日のメモ [メモの活字版 (画像は最下)]
170625(左ページ)
会で集中しすぎない、というか
広い視野をもつ
16.10.8の相対性視論みたいな感じ。
広く全体を掌握した状態から、徐々に的にしぼっていく感じ。
はじめから的オンリーだと長くもたない。
それから17.6.22とか17.6.11とか