所感・解説 [メモ部分は緑字表記。画像は最下]
今回のメモは、毎年秋に開催される実業団(社会人)の大会についてです。
この試合は色的を使った得点制で競われる団体戦です。
ルール(試合形式)の詳細はここでは割愛しますが、ご存じない方は2015年の記事をご参照ください。
私は学生弓道育ちというのもあってか団体戦は好きなんですが、プレッシャーに強くないので、いざ試合となると胃とか心とかがキリキリします。付け矢は中っても中らなくても落ち着かず、時間いっぱいまでやらないと気が済みません。そこまで追い込まれるのに試合に出ようと思う理由は、言葉で説明するのは難しいですが、例えば、ビビりまくって会で進退窮まってままよ的に飛ばした矢が的の方に飛んだ時の達成感というか解放感というか安堵感、それから試合後の酒の味といったところでしょうか。
ただし、そこに至るまでは「出るって言わなきゃよかった」という後悔にさいなまれるのです。
今回のメモの内容は、そんな緊張と後悔の中で、どのように心身を働かせればより良い結果を導けるのかを考えたものです。
『ものをみるとき、対象に対する自分自身を常に意識の中に置く(対象だけに集中するのではないということ)。できれば周りの空間も含める。これを相対性視論という』
緊張すると周りが見えなくなるというのはよく言われる話と思いますが、確かに意識が集中しすぎると、狭所や暗闇に閉じ込められたような恐怖心に近い緊張感を覚えることがあります。ならば、逆転の発想で、意識を周りに向ければ緊張を和らげることができるのではないか、さらには、周りを見ている自分自身すらも景色の一部として見ることができれば、もはや緊張の余地などなくなるのではないか、ということです。
もう宗教の域に入ってるかもしれません。いや、これが究極の「場の掌握」かも。
『相対性視論』というのは明らかに相対性理論をもじったものですが、上記の意味からいけば「相対視法」とかの方がしっくりきます。まあこれを書いていた当時は公開するなんて思っていなかったので、この手のふざけはお見逃しいただければと思います。
『ひとの行射を見ている際、対象の人と、その行射に自分がやっている感覚を重ねてイメージし、さらにそれを見ている自分を置く』
『試合での自分の行射前のイメージトレーニング(場慣れというか先行緊張というか)』
これらは相対視法的な側面も含みますが、さらに「人が引いているのを見ながら自分が引いているつもりになる」という図々しいイメトレ法です。そんなん本当にできるのか?ですが、意外と先行緊張、場慣れ効果ある気がします。
『何のために試合で引くのか⇒自分のため 自分が楽しくないなら意味なし』
これは直球。苦しむ自分に対して心理を説きます。やはり宗教の域ですね。
今回は試合前の追い込まれた心境と対処法について、実体験/思考に基づき述べてきました。
もちろん、こんな複雑に考えず気楽に引いて結果を出せるならそれに越したことなどない。ですが、それができない以上は意思でもって打破するしかない。というのが私という人間です。
さて、次回は試合の記事です。
ご参考:緊張に関する過去の記事はこちら↓↓
↓↓ 記事を投稿したらtwitterでお知らせしていますので、よろしければフォローお願い致します
Follow @recroo_kyudo
スポンサーリンク(楽天市場)
この日の弓道練習メモ [メモの活字化 (画像は最下)]
161008
- ものをみるとき、対象に対する自分自身を常に意識の中に置く(対象だけに集中するのではないということ)。できれば周りの空間も含める。これを相対性視論という。
- 何のために試合で引くのか⇒自分のため
自分が楽しくないなら意味なし - ひとの行射を見ている際、
・対象の人と
・その行射に自分がやっている感覚を重ねてイメージし、
・さらにそれを見ている自分を置く - 試合での自分の行射前のイメージトレーニング(場慣れというか先行緊張というか)
- そして本番自体は場を掌握してやるべきことを普段と同じようにできる心持ちを作り出す