サンカクユミ(三角弓) -考える弓道-

自分で書いた弓道練習時のメモについて語る「自己評論ブログ」です!

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『ここに巡り合わせて』弓道練習メモ '22/04/10, 04/23, 04/28, 05/14

所感・解説  [メモの引用は緑字表記]

 

私は大学の時の流派だった斜面の引き方を卒業後も変えずにずっと続けています。

一般的には正面が主流という中でも変えなかったのは、強力なこだわりがあったわけではありまあせん。これまでの記事でも何度か書いているように、私は基本周りに指導を仰ぐということをしないため、流派が一般的ではないことで不都合を感じる場面がなかったというのが大きかったと思います。

 

あとは、少数派であることを好意的に捉えていたというのもあると思います。

これは私の質(タチ)です。座右の銘が「反骨」だった時期もありました。年取るとそれはさすがにって感じですが、今でも嫌いではないです。三つ子の魂百まで。

 

でも、そんな斜面も始めは嫌で嫌で仕方がなかったのです。

 

高校は正面だったので、大学の弓道部に入ってしばらくはすごく抵抗があり、事あるごとに正面で引きたいと言ったり、正面で引いている近隣の大学の弓道部とかサークルに入れないか本気で模索したりしていました。

 

でも実はこれ、斜面が嫌なんじゃなくて、学生弓道の文化に馴染めなかったというのが本当の理由だったように思います。

先輩も連れの隣みたいにゆるかった高校の上下関係から一転して、大学では明確な上下関係があり、理不尽なレベルでは決してなかったものの、その窮屈さを感じていました。

また、行射時に周りが発する矢声も、高校での弓道の常識を覆すもので、これもなかなか受け入れられませんでした。

 

 

でも結局はまっちゃうんだから面白いものです。

私の大学の矢声は規律があってみんなで合わせる感じのやつなのですが、途中からそれに物足りなさを感じるようになり、それぞれが思い思いに叫びまくる他学の矢声を羨ましく思ったくらいです。

 

的中が正義の世界を体験できたのも大きかったと思います。私自身は残念ながら今まで中る側にいたことはほとんどありませんが、それでも、弓道の大前提として、「中るのを目指し続けなければならない」というのを自分の根底に持つことができました。

もちろん的中が全てではないけれど、的を狙って弓を引くんだから中らなきゃね。

 

それから、今はわかりませんが、私が在学中には早気を強力に忌み嫌う文化がありました。そのおかげで、私は高校からの反射早気から脱することができ、その後も何とか「只の早気」に踏み留まることができています。

でも当然、始めからありがたいと思っていたわけではありません。部の大方針が早気撲滅だったので、何かにつけて早気一括りの扱いを受けるし(被害妄想も多少あっただろうけど)、会があること以外は大したことない弓を引くやつからも、上から目線で話をされたり(これも被害妄想あったのかな)、ふざけんなと。

早気の同期と傷をなめ合いつつも、絶対見返したる(深い会で以て高的中)と決意し合ったものです。

 

 

こうして書いていると、大学の弓道部で学んだことや身につけたことがいかに多かったかということに気づかされます。上記のほかにも、バカやったから若いののバカが許せる話とか、また一方で良くも悪くも年次の上下関係が思考のベースになっている話とか、次から次へと書いていってしまいそうです。

 

際限ないので、そんなのはまたの機会にするとして、そもそも何の話だったかというと、大学を離れて街の道場で弓を引くようになってからも、ずっと斜面のまま引き続けている、という話でした。

 

これによって、斜面を続けている大学OBの人たちから、流派の勉強会とか練習会に誘われることがあり、そういうのには時々参加しています。

指導してもらうのを目的として参加するわけではないのですが、当然色々コメントをもらうことになるため、結果として外部からの意見や知識を入手するとても希少な機会となっています。

 

22年4月10日のメモは、そんな練習会でのコメント集です。

 

この日のことはよく覚えています。場所も普段引かないようなところだったし、天気も良く、春のうららかな雰囲気の中で弓を引いた、とても平和な感じの良い記憶です。
(ちなみに、ちょっと気になって調べてみたら、天気は快晴で、気温は20℃後半。春にしてはちょっと暑いくらいだったのかも。経年により記憶が美化された模様)

 

 

若かりしあの時、他の大学のサークルに移っていたら。途中で嫌になってやめていたら。卒業後に弓を続けなかったら。続けていても流派を変えていたら。

当然その場にいることはなかったわけです。

こういう縁はとてもありがたいものだと思います。

 

でありながら、積極的に顔を出すようにしようとかにはならないのも私流。自力でもう少しうまくなってからにしようとか思っちゃうんですよね。三つ子の魂百まで。

 

 

しかし…

 

打起しで馬手がゆるんで』『鳥指し』なのに『引き過ぎ』ですか。多難な感じですね。引き過ぎの自覚はあるとして、前者2つはこれまでのメモに登場してこなかった事象なので、それはつまり大三以前を軽視していたということでしょう。大三以前でそんな状態では、以降で良射など望むべくもないだろうに。まあとりあえず気づけた(のか?)ことで良しとしましょうか。

 

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この日のメモ  [メモの活字版 (画像は最下)]

220410

指摘されたこと
・鳥指し
・打起しで馬手がゆるんで弦にとられる
・引き過ぎ

馬手肘を大きく遠ざけながらまな板返しで打起す
⇒これで馬手がコンパクトに収まるようになるはず?

まな板返しは肘・上腕MAXで。手先ではない。

 

220423

・4/10でOK

・前矢が出るのは多分馬手。方向を研究する。

 

220428

回転厳禁。弓手肩死ぬ。

弓懐は脇・上腕で開くように。
⇒脇起点の力で角見で弓を開く

 

220514

  • 弓懐
    回転厳禁。脇起点の力で角見で弓を押し開く
  • 打起し
    まな板返し。手先じゃなくて上腕・肘の張りで
  • 引分け
    前後は弓面ラインで。
    高低は馬手下に引きがちなのでかなり上(矢筋)の意識。
    ⇒高いところのとびらを開けるイメージ
    縦線で腹・かかとに載せきる。

  • 爆発の最高点を高める練習をする。弓手も馬手も点に向かって。逃げない。
    離れは手先で作るのではなく、中心から開くように作る。左右方向の力と、手の内の回転と、馬手の張りが組み合わさる感覚をつかむ。