サンカクユミ(三角弓) -考える弓道-

自分で書いた弓道練習時のメモについて語る「自己評論ブログ」です!

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『悪癖に挑むには極端かつシンプルな言語化で』弓道練習メモ '20/09/17, 27

所感・解説  [メモの引用は緑字表記]

三角弓の(というか私の)力のかけ方は下画像のような感じで、弓手も馬手も上から下に力をかけるようにして左右のバランスを取っています。

 

これを、力を水平に働かせるように変えたいのですが、本人的には今とて斜めに働かせている認識はないので、「水平にしようとする」では現状に対抗できないのは明白です。

脳に染みついた常識を除去していくには、まずは極端かつシンプルな言語化が効果的かと思います(というかそれくらいしか思いつかない)。

 

今回の場合のそれは、『鎖骨の中心(あごの下)辺りを下点にしたV字のイメージで左右に張り合う』の一文です。

※過去の絵の中に近いイメージのものがあったので下に載せます。
 ただ今回のは「鎖骨の中心」なので、両矢印の起点はもう少し上になるかと思います
 

 

この一文には、前腕や手首を使って上っ面で張り合ってしまうのを防いだり、中心の意識の欠如を補ったりという意図があります。そしてもちろん、力の方向を矯正する目的があります。

これらを行射中に一つ一つ意識しながら実行するには情報量が多くて混乱を招きかねないため、できるだけシンプルな形で一文に込めようとします。これなら、一番意識が飛びやすい引分け~会にかけてでも、意識の中に保てる可能性が高いと思います。

 

千年の悪癖も極端な意識でぶつかれば往々にして揺らぎを見せます。これなら一気に消し去ってしまえるかも…?

 

しかし、始めは確かに効いていたのに、いつの間にか元の状態近くに戻っているというようなことがよくあります。

作り上げた一文によって射が変われば、引いてくる感覚も変わります。そして段々と、言葉そのものではなくその変わった感覚を信じるようになっていきます。しかし、感覚は放っておくと慣れ親しんだ従前に戻りたがり、それに従って射も戻っていってしまいます。その変化に気づくことは難しく、「しっかりやっていたはずなのに?」となります。

 

一方で、いつまで/どこまで徹底すれば板につくのかを見極めるのも難しいです。一つの悪癖だけやっていれば良いのであればまだしも、他のことも並行して治さないといけない場合も多く、悪癖の矯正は難しいわけです。

 

それでも、まず矯正の第一歩である変化を生み出すためには、「極端かつシンプルな言語化」は非常に効果的なものであると思います。

 

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この日のメモ  [メモの活字版 (画像は最下)]

200917

ここで一度整理

足踏み/胴造り
・右腰の入りを確認
・頭の位置後ろを確認

弓構え
・弓手手の内は7/4(反時計)。この後離れまでずっと

打起し
・弓手は手の内に意識
・馬手は肘高く手繰りゼロ

引分け
・左右両肩を体から遠ざける力で弓を開く
・縦の力で会をおろす
・弓手手の内は反時計弱めない
・馬手は肩遠ざけ続ける。支点にしない
・この時重要なのは、懐をつぶさないこと
・手先の形(力)は維持しつつも、弓の力に応えるのは体の力


・途中で力が切れるのを治す9/6
・鎖骨の中心(あごの下)辺りを下点にしたV字のイメージで左右に張り合う

離れ
・会の力のまま線で離す

 

後矢は弓手脇が弱くなるのが原因かも

 

200927

前頁のVのイメージを一気に確立する

会に入ってからVを作りに行っても全然はまらない。むしろ、

引分けの前にアゴと首筋で縦線を作っておき、その縦線と肩を遠ざける力の横線を組み合わせて会を下げる(※)。

その際、懐とか手の内が消えないようにも気を配りつつ。

 


馬手側の水平線が下がりやすい。昔からの癖。

そして、左(弓手)もそうなっているかも。左はあごが閉まって面が下向きになった視界で前の感覚のまま押していることでそうなっている? つまり感覚よりも上目に変える必要?結局Vか?