サンカクユミ(三角弓) -考える弓道-

自分で書いた弓道練習時のメモについて語る「自己評論ブログ」です!

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『三重十文字、そして』弓道練習メモ '17/03/16

所感・解説 [メモの引用は緑字表記]

雨が続きます。弓道は基本雨でもできますが、やはり晴れるに越したことはない。しかも、今日は練習すべく道場まで来たら個人利用できない日だったというミスが発生し、それ以前の問題で大ダメージ。おととい昨日今日と3日連続練習の予定だったのに残念。さらに今日は休肝日のため酒も飲めないときている。連休最終日だからおとなしく養生せよとうことか。

ということで、空いた時間でこれを書くことにしたという顛末。

 

今回はメモの項目の一つ、「引分けもっと背面側に。体に入れる」で話をします。

引分けで弓が体に寄らないと会が前で構成されることになり、弓の反動力がかかるラインとそれに応える力点に距離ができます。その結果、力が効率よく伝わらなくなり、会が不安定になります。

そうならないように、現状より背面側に引分けるようにしたい。 このイメージを表現する際、「弓に体を割り込ませるように」という言い方をすることがあるかと思います。「体に入れる」も同じような意味合いです。

「弓に体を割り込ませるように」は、弓と体の相対位置を表現したものですが、腕の力で寄りにくい場合、体で迎えに行ってしまいがちです。そうなると、上体が前に出てしまい、三重十文字が崩れて様々な悪影響を及ぼします。なので、まず大前提として、体は動かさないものであるということをきちっと定義しておく必要があります(毎度のことながら言うまでもないのでしょうけど)。

これは今回のような話に限ったものではなく、行射における基本と言えます。重心、特に上体の位置が変わると、狙いが変わって矢所が変わります。狙いが変わるのは、このブログでも何度も取り上げている「あご浮き」と同様に極悪です。狙いが変わると矢所が変わるので、的に近づけるために射を変えざるを得なくなります(無意識のうちに変えていく場合もある)。そうなると、これまでやってきた練習の連続性がなくなり、かけた時間が無駄になってしまいます。これはもったいないどころの騒ぎじゃない。

だから、重心の位置というのはとても重要で、もし重心の位置が行射中に変わってしまうようなら、何をおいても重心を動かさないのを最優先にするのもいいかもしれません。このとき狙いは変わると思いますが、最初は仕方ありません。ここから作り直していくしかないです。

ちなみに、重心は引分けで少し(数cm?)前に来るみたいな教えもあったかと思います。どちらが良いのかここでは追っかけませんが、少なくとも上体が前に突っ込んで重心が変わるのがNGなのは間違いないでしょう。

そういえば、先の「弓に体を割り込ませるように」というのは、よくない表現だなと書いてきて思いました。上体を前に移動させるような印象を与える。せめて「弓を体に」の方がいい。いや、元々そっちだったのかな。記憶はあいまいです。

 

さて、今回もごちゃごちゃ書いてきましたが、まとめるとすれば、やはり三重十文字こそが大基本であるということでしょうか。枝葉の部分はたとえ悪くても影響範囲が狭いが、幹が悪いと影響が全体に及んでしまう。日々の練習で色々なところを治そうとしていく中で、わけわからなくなったら三重十文字に立ち返ってみるものいいでしょう。

 

それはそうと、三重十文字に目線の水平を加えた四重十文字をずっと提唱しているが全く流行る気配なし。

目線の水平はとても大切です。アゴが浮くと目線が水平でなくなり、四重十文字が崩れます。その悪さについては… あご浮きカテゴリーで。

 

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この日の弓道練習メモ  [メモの活字化 (画像は最下)]

170316(左ページ)

引分けもっと背面側に。体に入れる。

体で受けられる会に。

引分け馬手の方向もう少し上にすると会が安定する?

脈所から角見、そして弓を押す。

 

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